辻製油株式会社
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 豊富な機能別で素材のおいしさ
     
 
今春の叙勲で旭日単光章を受
章した辻製油㈱の辻保彦会長
 8月10日、三重県四日市市の四日市都ホテルで、今春の叙勲で旭日単光章を受章した、受章記念祝賀会が開かれた。
 当日は、地元三重県の政財界、油脂業界をはじめとする関係業界から約300人が駆けつけ、辻会長の叙勲を盛大に祝した。
 祝賀会は、前三重県副知事の石垣英一氏、ZTV代表取締役社長の田村憲司氏、松阪商工会議所会頭の谷川憲三氏、前三重大学学長の内田淳正氏、ウッドピア松阪協同組合代表理事の田中善彦氏が発起人を務めた。
 はじめに、発起人代表の石垣氏が「辻さんは長い間、産業振興や地域振興に大変ご尽力していただいた。そのことで今回、平成29年春の叙勲で旭日単光章を受章されたということである。また、今年は、辻製油さんの創業70周年でもあり、二重の喜びであると思う。お喜びを申し上げたい。そして、ここにおられる奥様、言いたいことは一杯あると思う。長いこと、このやんちゃなおっさんのおかげで、本当にご苦労されたことと思う。ここにいる全員が、今回の辻さんの叙勲の半分は、奥様の内助の功だとみんなが思っている」と述べた上で、「辻さんは、お父さんの後を継いで今までやってこられたことは皆さまご存知であると思うが、昨年12月に『菜の花の夢』という自叙伝を出された。この本は、辻さんがいかにこれまでご苦労されてオンリーワン、ナンバーワンを目指してここまできたのかを大変わかりやすく、読みやすく記されている。先代のお父様が菜種の搾油を始め、その後、コーン油、そしてレシチンを手がけた。これが苦難の末に研究開発をされて、いまの辻製油の基盤となった。また、大学との共同研究でいろいろなことをやられている。植物工場でのミニトマトの生産、唐辛子のカプサイシン、柚子、ニンニクなど独自の技術で新しい事業を行っているほか、バイオマス事業にも取り組んでおられる。私も20数年間、一緒に仕事をさせていただいたが、辻さんが素晴らしいのは、どんなに苦しくても『あきまへん』とは絶対に言わない。『もうちょっとがんばったら、どうにかなるで』『もう少しや』と、絶対ダメだとは言わない。そういう で、経営者としても非常に尊敬している人である。自叙伝の後書きに辻さんは『私の行く手にまた新たな風景が広がってきています。それは、秋の夕暮ではなく、白い雲のわく夏空に似ているように思います』と記している。これからも、ワクワクと、ドキドキするようなことに、さらにチャレンジしていくということを書いてある。ぜひとも、大いに期待したいと思っている」とその功績を、人柄もまじえて語り、辻会長の叙勲を祝った。
 来賓祝辞では、はじめに衆議院議員の岡田克也氏が「三重県というと菜種油の一大産地。私が子供のころは、春になると田んぼ(の辺り)がまっ黄色となり、そこにモンシロチョウが舞っていた姿を原風景として思い出す。ただ、その菜種油だけではやっていけなくなる中で、辻製油はさまざまな多様化を志向され、いつのまにかバイオマス発電や植物工場まで、元の企業から見ると、70年を経てまったく姿を変え、しかし、DNAを保っておられるという稀有な存在であると思う。3重県のさまざまな企業にとってもモデルとなる存在でもある。ぜひ、これからも企業だけではなく、地域のため、三重県のため、そして日本全体の活性化のために辻会長のお知恵を貸していただきたいと強くお願いを申し上げたい」と祝福。この後、衆議院議員の田村憲久氏、経済産業省中部経済産業局長が祝辞を述べ、さらに、三重県知事の鈴木英敬氏、松阪市長の竹上真人氏がビデオメッセージで辻会長にお祝いの言葉を贈った。
 引き続き、辻会長が奥様とともに登壇。同社社員から花束を受け取った辻会長は、この日お祝いにかけつけた約300人の関係者、そして何よりも裕子夫人に御礼の言葉をかけた上で「当社は今年、70周年を迎えた。私は昭和18年、戦争のさ中に生まれ、育った。戦後のものない時も知っており、高度成長も見てきた。そしてバブルの崩壊、低成長の時代を経て、今日に至っている。自分の人生を少し振り返ってみると、多感な中学、高校時代に大病を患い、みんながスポーツをしたりしている時間に自分は木陰でベンチに座り、悔しく見ている時代が長く続いた。何とか大学に入り、卒業するころには体調も良くなった。小さな会社なので、入ってもしょうがないと思い、大学に残ったが、途中で父が体調を壊し、長男だから戻ってこいを言われ、辻製油に入社することになったわけである。当時、三重県は菜種の産地であったものの、どんどん衰退。油も大手がやっており、我々の出る幕がなかった。この会社がどうやって生き残るか、真剣に考えた。では、何ができるか。要は大手の方々が真似のできない仕事、人が真似できない仕事をやろうと考えた。それには当然、技術が必要。小さな会社ではあったが、あの手この手、縁をたどって各大学にお願いし、学生を頂戴した。その研究員と1緒にここまで、いろいろな商品を作って育ててきた。人が財産ということでここまで進んできた。ちょうど平成にかわる時、先代の社長が引退。すべての仕事はお前がやれと言われ、社長を引き継いだわけだが、その時のあいさつで私は、当時50億円ほどの売上げ規模だったが、一日も早く100億円にしたいと言った。できるならば上場まで目指したいとみんなの前で約束した。親父には『何てことを言うんだ』とこっぴどく怒られたが、数年も経たないうちに100億円を突破し、200億円に近づいてきた。そんな時に親父は何を考えたのか、おれの持っている財産は全て寄付すると言い出した。そして、子供が好きだったので保育園を開設した。その時、僕はそんなところに金を使うんだったら、工場など多くのお金がいるのだから、こちらに回してくれと言ったら、ばか者と1言で終わり、保育園を作った。その後、私の弟夫婦が後を継ぎ、いま1000人を超す園児を抱えて、立派に成長してくれている。その際、親父の背中に感じたのは、仕事をいうのはお金儲けだけではないと。少しでも社会に役立つ仕事、少しでも地域に役立つ仕事、そして、みんなが喜び合えるような仕事をしていきたいと本気で考えた。そのきっかけとして、地域産業ということでエネルギーに手をつけようと。山に行けば間伐材が山ほどころがっており、この木を使えば石油を使わなくても済む、CO2発生もなくなると考え、すべてのエネルギーを切り替えた。さらに、余っているエネルギーを使ってトマトの栽培を思いついた。エネルギーの完全利用、資源の完全利用ということを考えながら今日まできているわけである。私も74歳となる。だいたい、こういう章をもらったら人生のゴールだとよく言うが、私はやはり、この年になってよく思うが、人間というのは死直前に一番後悔するのは何か、よく考える。いろんなことやってきた、失敗も山ほどあった。しかし、失敗したことに対する後悔はまったくない。逆にあの時、あのチャンスを何故逃したのか、あるいは、あの時にあの人を何故助けられなかったのか、やらなかったことを考える。そういうことを思った時に、これからやはり、悔い残さない、もっともっとチャレンジしていこうと考えている。私の好きな言葉、サミュエル・ウルマンの詞で『夢のある限り青春』という言葉がある。よく部下にも言うが夢、青春というのは年ではないよ、夢を持っている限り青春だよと。ということで、これから残された人生、もっと自分で精1杯がんばって悔いのない人生を送っていきたいと考えている。微力ではあるが少しでの地域のため、社会のために、そして皆さまのお役に立てることを考えていきたいと思っている。今日は本当に大勢の方々にご列席いただき、このような祝賀会を催すことができた。本当にこれ以上の喜びはない。しかし、これをまた一つのバネにしてさらにさらに、もっともっと、命のある限りやっていきたい。人間の人生は一回しかない。必ず死 。そして、いつ死 かわからない。しかし、今日一日は今日しかない。その今日一日を精一杯積み上げていけば、死 時は辻保彦もなかなかがんばったなと、言ってもらえるようになるのではないかと思っている」とお礼の言葉を述べた。
 祝賀会は田村憲二氏の乾杯で歓談の場に。辻製油の社風、そして辻会長の人柄を映し出すかのように、和やかで楽しい祝宴となり、大いに盛り上がった。最後は谷川憲三氏の中締めで散会した。
 



 2017年通関