日本ひまし工業会
   ひまし工業会第60回通常総会開催  
  辻会長が60年の歩み振り返る
 安定供給と健全な業界発展に尽力
   
   日本ひまし工業会(三重県四日市市・辻定昭会長)は5月31日、石川・加賀市の山代温泉「瑠璃光」で第60回定時総会を開催した。当日は、平成29年度事業報告並びに平成29年度収支決算、平成30年度事業計画並びに収支予算を満場一致で可決承認した。
 総会終了後には記者会見が行われ、辻定昭会長(伊藤製油社長)、今川和明幹事(豊国製油会長)、河合春彦幹事(日華油脂社長)が出席し、60回目を迎えた工業会の歩みを振り返るとともに、工業会を取り巻く内外環境などについて説明した。
 同工業会は昭和33年設立。当初、伊藤製油、豊国製油、日華油脂、日清製油(現日清オイリオグループ)、吉原製油、丸全製油、竹本油脂、攝津製油の八社でスタートした。 辻会長は「今回、60回ということで記念すべき総会となった。昭和33年に設立、その目的は関係業者が相互一致し、取引条件の改善策に努め、原料確保の安定を図ること。今も、この目的を たすため、工業会として事業を展開している。一方で、設立の直接の動機というのは、当時原料供給国であるタイにおいて積んだ数 が異なるとか、品質に問題があったなどから、ヒマシ原料を安定的に確保するため、シッパーとの取引条件を改善し、契約フォームを統一すること等が記されている。こうしたことは工業会だけではできなかったことから、油糧輸出入協議会なども通じてタイに対して申し入れしたということだった」と工業会設立の経緯について振り返った。
 辻会長はさらに、「その後、総会には来賓として農水省からも出席していただいたり、また、現在も日本植物油協会の齋藤昭専務理事に出席してもらい、今日に至っている。八社でスタートしたが、昭和49年に竹本油脂さんが退会され、平成4年から現在のメンバーで動いている。大きな転換期となったのは、会長の人事について、当社が設立以来、会長職にあったが、平成27年(57回総会)に当時の幹事、出席者に諮り、当社と豊国製油さんとで2年交代でやっていくという体制に変更した」と語った。
 また、総会資料の統計を紐解くと、設立したその年にブラジルがヒマシ種子の輸出を禁止。以降、タイ中心で輸入していたが、昭和39年にヒマシの輸入制度が自由割当制から自由化に転換した。昭和51年には、インドがヒマシの輸出を1時禁止。54年にはタイが独自にTCO(タイ・キャスターオイル)という国営に近い会社を設立、自国で搾油するようになった。当然、国策として種子では輸出せず、日本の搾油業界は非常に困難な状況に陥り、他国へヒマシを求め、パキスタンやフィリピン、インドなどからの輸入に変わっていった。
 辻会長は「しかし、逆にこれらの国から購入していた欧州が産地を荒らしたということでクレームを受けたという歴史も記されていた。その後も、搾油は続いていたが、平成7年のところでヒマシ種子の輸入がゼロになった。これは、自国消費が拡大した中国からの輸入が途絶えたことなどが要因となった。我々、搾油業者はその時点で日本での搾油をあきらめざるを得なくなり、それ以降は、ヒマシ油の輸入で新たな歴史が始まった。そして、この辺りからヒマシ硬化油や12ヒドロキシステアリン酸、セバシン酸の輸入が急激に増えていった。平成16年には特恵関税制度の適用でヒマシ油の関税がゼロになり、油で購入するようになった我々にとっては好ましいこととなった。いずれにしても、先人諸先輩方が工業会の発展に寄与され、お客様にも60年の長きに渡って支えていただいたと思っている。再生可能な天然資源のヒマシ油であるので、非常に安全性が高く、環境負荷も少ないということで、家庭用品から先端産業までさまざまな分野でヒマシ油を使用してもらっている。今後とも、工業会としてはヒマシ関連製品の安定供給はもとより、70年、80年の総会を目指し、業界の健全な発展を図っていきたいと思っている」と気持ちを新たにした。
 



かどや製油㈱